カワヅザクラ(河津桜)が咲き始めた。
寒い日が続いておりますが、早くも木場公園の近くにあるカワヅザクラ(河津桜)が咲き始めました。場所は、木場公園東側を流れる大横川に架かる豊木橋と茂森橋の間の、東京都水道局豊住給水所側の遊歩道です。この遊歩道は、普段は閉鎖されていますが、花の時期は開放されています。
豊木橋近くから茂森橋方面
豊木橋近くから茂森橋方面
2011-01-28 17:43
海岸堤通り(かいがんていどおり)
東京メトロ・南砂駅の西側出入口前の道路に、「海岸堤通り(かいがんていどおり)」というパネルがありました。え?何でここが海岸?と思い読みました。次に、東側出入口の方へ行って、南砂町駅前公園「新砂あゆみ公園」の隅にある立札「かつてのこのあたりの様子」も読んでみました。戦後まで、海岸堤防があって、南は海になっていた。そして海水浴場もあったとのことです。今の景色からは想像がつきません。
なお、東側出入口の南砂町駅前公園「新砂あゆみ公園」に関連しては、2010,11,28に「地下鉄東西線5000系車両」をアップしております。
西側出入口の近くから東口方面。「海岸堤通り(かいがんていどおり)」は、今はコミュニティ道路になっています。道路の左は、第三砂町中学校。
東側出入口の近くから西口方面。手前の信号は、南砂町駅前公園。
なお、東側出入口の南砂町駅前公園「新砂あゆみ公園」に関連しては、2010,11,28に「地下鉄東西線5000系車両」をアップしております。
西側出入口の近くから東口方面。「海岸堤通り(かいがんていどおり)」は、今はコミュニティ道路になっています。道路の左は、第三砂町中学校。
東側出入口の近くから西口方面。手前の信号は、南砂町駅前公園。
2011-01-28 14:10
夕方の空(20110127)
2011-01-27 22:25
弾正橋の跡
明治通りを通っていたら、弾正橋のモニュメントがありました。仙台堀川公園に架かっていた橋です。
なお、この弾正橋は、2011,1,22にアップした「八幡橋(旧弾正橋)」の「旧弾正橋」とは別の橋です。
橋のあったところから西方向、仙台堀川公園。中央奥の青い色の鉄道橋は、総武本線越中島支線。反対側にも同じモニュメントがあります。
なお、この弾正橋は、2011,1,22にアップした「八幡橋(旧弾正橋)」の「旧弾正橋」とは別の橋です。
橋のあったところから西方向、仙台堀川公園。中央奥の青い色の鉄道橋は、総武本線越中島支線。反対側にも同じモニュメントがあります。
2011-01-27 15:03
小名木川駅前交差点
「小名木川駅」の名前が入った交差点を発見したので、嬉しくなって撮りました。この駅はJR東日本・JR貨物・総武本線越中島支線の駅でしたが、2000年(平成12年)に廃止となりました。この跡地は再開発されて「Ario(アリオ)北砂」などが出来ています。「Ario(アリオ)北砂」については、2010,10,14にアップしています。
交差点の名前に既に無い施設名が使われる例としては、橋の名前が多いですが、鉄道施設の「小名木川駅」も今後も長く続くと良いと思います。
正面が小名木川駅があったところで、Ario(アリオ)北砂となっています。手前は明治通りで、右へ行くと進開橋です。
交差点の名前に既に無い施設名が使われる例としては、橋の名前が多いですが、鉄道施設の「小名木川駅」も今後も長く続くと良いと思います。
正面が小名木川駅があったところで、Ario(アリオ)北砂となっています。手前は明治通りで、右へ行くと進開橋です。
2011-01-27 12:36
木場親水公園にある作品
木場親水公園」の南、永代通りの近くに、「川並」という作品がありました。銘には、「川並 かわなみ 制作 日展会員 上野弘道 制作助手 宮崎甲 神谷睦代 輪瀬久美子 松本淳志 建立 1992年3月吉日」とありました。
「川並」とは、木場で、筏(いかだ)を操作した人。川並鳶(とび)。(Yahoo辞書http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0ss/104041600000/)。「川次」とも書くようです。
なお、木場親水公園に関しては、2010,9,10、2011,1,25にアップしています。
「川並」とは、木場で、筏(いかだ)を操作した人。川並鳶(とび)。(Yahoo辞書http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0ss/104041600000/)。「川次」とも書くようです。
なお、木場親水公園に関しては、2010,9,10、2011,1,25にアップしています。
2011-01-26 10:31
越中島貨物駅以遠の東京都港湾局専用線(廃線)のあった場所
総武本線越中島支線・越中島貨物駅以遠の東京都港湾局専用線(廃線)の跡については、2010,9,17、11,9、12,7の3回アップしたところですが、その専用線がどのように敷かれていたのか、ネットで調べてもよく分かりませんでした。
本格的に調べないと分からないかなと思っていたところ、木場公園の西にある「木場親水公園」に、「水辺のまちの形成史・・・・400年」というパネルがありました。そこに地図が載っていて、専用線のあった場所の概要が分かりました。
なお、木場親水公園については、2010,9,10にアップしています。
パネル「水辺のまちの形成史・・・・400年」(木場親水公園の北、葛西橋通りの近くにあります。)
(戦災→復興)1946~1955
(国土地理院 地形図(昭和27年))
(高度経済成長期)1956~1973
(国土地理院 地形図(昭和42年))
(現在)1974~1988
(国土地理院 地形図(昭和58年))
本格的に調べないと分からないかなと思っていたところ、木場公園の西にある「木場親水公園」に、「水辺のまちの形成史・・・・400年」というパネルがありました。そこに地図が載っていて、専用線のあった場所の概要が分かりました。
なお、木場親水公園については、2010,9,10にアップしています。
パネル「水辺のまちの形成史・・・・400年」(木場親水公園の北、葛西橋通りの近くにあります。)
(戦災→復興)1946~1955
(国土地理院 地形図(昭和27年))
(高度経済成長期)1956~1973
(国土地理院 地形図(昭和42年))
(現在)1974~1988
(国土地理院 地形図(昭和58年))
2011-01-25 17:48